ミュウへの祈り

2013年08月14日



大阪で家猫生活を送るミュウ (旧ジンパチ)。



昔なつこく、いま人見知り。



母も姉妹も、逝ったり消えたりしてしまったけれど、



きみはもっと、ずっと、きっと、穏やかな日々を送るんだよ。
posted by まるこめ at 09:28 | Comment(6) | 家猫
この記事へのコメント
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元気で幸せでいてね.....☆
Posted by 海から遠い杉並区 at 2013年08月14日 22:35
一昨年に訪ねた時は押入れに籠って出てきてくれませんでした。
今回もはじめ同様でしたが、やがて姿を見せ、最後には撫でさせてもくれました。
Posted by まるこめ at 2013年08月15日 09:36
出会いと別れの末
どのねこにも
生き様と幸せがあればいいと思う。
常に人と人ならざるものの境界に生きている。
それがねこたちなので。

単にかわいいだけでなく、
自由と、裏腹の生き難さを備え。
可愛さと、裏腹のしたたかさを備え。
常に「命とは」「生きるとは」を
いるだけで問うてくれる。

同化したような感覚を容易に抱かせてくれる、
ねこという存在。
しかしどこかで厳然と「人ならざるもの」としての
境界を感じて、現実の酷薄さを感じることもある。

人よ。
謙虚たれ。

そう告げるために、
何かが遣わせた。
それがねこなのかもしれない。
Posted by dainoji at 2013年08月15日 09:51
などと問わせるために使わされたのが、
ぼくやdainojiさんにとっては猫なのかもしれません。
Posted by まるこめ at 2013年08月15日 10:21
ボクの場合、猫が好きか嫌いか、猫を愛するか否かという問題は、はっきりと自身のエゴイズムに属していると言えます。というのも、猫を疎ましく思い、ヒトにフェチと呼ばれるほど犬を溺愛した時期が長くあったからです。
猫に目覚めたのは、5才で早世してしまった家猫のおかげと妻の偏執的な猫愛のせいですが、自身のエゴイズムが故に、ノラにカメラを向けられなくなってしまいました。
Posted by 月と猫と夜の庭 at 2013年08月15日 14:19
そういう意味では、ぼくはもっとエゴで鈍感で無神経なのだと思います。
猫など視野に入らず、まったく興味がなかった時期もありましたが、
ひょんなことから一緒に暮らし、その一挙一動を目の当たりにしたらもうダメでした。
Posted by まるこめ at 2013年08月16日 08:08
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